ナンカア楼

見たこと、聞いたこと、感じたことを気まぐれに。

暦~こよみ~

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本当に「さよなら」に乗っかるのが好きだなぁ。
昨日、愛知の近郊を走っていた「桃花台線」が姿を消した。
廃止の理由はご多分に漏れず、利用者の低迷による赤字に愛知県と小牧市が根を上げたため。

で、ヒマな知人に最後だからとつきあわされた。
その知人は既に何回も通っている。
物好きもいたものだ。

現地は人で一杯だった。
陸橋の上は電車を撮ろうとする人。
駅構内もまた然り。
肝心の電車もまた人で一杯。まるで「廃止」がウソみたいだ。
こんなに人が毎日乗っていればこんな結末にならなかったのだが、そのことに思いを馳せる人がどれだけいたのか。
自分も含めて「さよなら」という言葉に惹かれ、それを消費した後は何事もなかったかのように忘れ去る人が多いのだろう。

今回の問題の根本は会社の経営がヘボ、行政はそれに輪を掛けてヘボだったということになるのだが、利用者の側も有る物をどう使うかということをもっと考えた方がいいのではなかろうか。
今回の廃止の結果、桃花台ニュータウンの足は愛知県などの補助が入った「バス」になるが、利用しなければ今度こそ公共交通空白地帯になる。鉄道があった時より話題にもならないだろう。

代替バスについて「桃花台線時代より遅れる、時間がかかる」という記事も見ているが、路線バスが消えた地域の人から見れば「何を贅沢な」ということになる。
自分たちが恵まれていることを自覚された方がいいのでは、という気がする。

最後にあれだけの大規模なインフラをどうするか。
「撤去」という主張を声高に主張する人がいるが、「撤去」と軽々しく言っても税金が投入される。
小牧市の一部の住民のために多額の税金を投入する必要性はあるのだろうか。
例えば、水源近くに埋設された産業廃棄物の撤去に税金を投入する場合を考えてみる。
「多くの人の健康に悪影響が及ぶ」というのは相当の合理性を持つ。
また、公立病院の経営に税金が投入されるのも同じ理由。それによって多くの人に安価な医療が提供される(それすらも危ぶまれているが)。

対して今回の場合はどうだろうか。
まず「撤去」という行為が後ろ向きだ。
国からの補助金が入っていることが話を更にややこしくしている。
仮に撤去するとしても「広域的な利益、合理性」はあるのだろうか。
県の税金を投入しても、その結末は桃花台ニュータウンの美観が少し向上するだけ、それに投入される税金の額を考えると、とても割に合う「投資」ではないと思うのは自分だけか。
せいぜい小牧市がチマチマと税金を投入して長い期間かけて撤去に励むのが納得できる線だろう。
桃花台ニュータウンは「小牧市」の一部だし、市民のために税金を投入するのは理解できる。

桃花台線は第三セクターで経営されていた。
その主要株主は愛知県と小牧市。
住民は路線が使いにくい、というのであれば両者に対して声を大にして訴えていくべきだった。
そうした努力も全くせず見捨てて、行政任せ。
いざ代替バスになると「高くなった、道路渋滞で遅れるのが心配」。
あまりの権利の主張ぶりに軽く目眩がしてきた。
かかる事態を招いた責任の一端は住民にもあるのに、それが感じられない。
山間部の人が聞いたら怒り出してしまう。

「甘すぎる需要予測、低迷する利用人員」が招いた「公共事業」は一見「美談」で終わった。
しかし、本当の後始末はこれからだ。
さっき書いた話はともかくとして、今後しばらくは廃墟がその骸を晒し続けるのは確定的。
それは「公共事業」の笑えない遺跡であり、そのことを当事者である愛知県、小牧市、そして桃花台ニュータウンの人たちはよく考えた方が良いだろう。
住民が「被害者」意識を持つ時代は終わった。
今後の街をどうするかについては税金を納め、サービスの受益者たる住民がもっと声を上げていく必要がある。
それをしなかった以上、一方的な「被害者」観には同意する気にはちょっとなれない。
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Curious A

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ネットの片隅でネタを探して幾星霜。
「こっそり、ひっそり、目立たずに」が座右の銘。

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